ヨーロッパのその他の国々の音楽<歴史>

 ここでは、スペインや東欧諸国の音楽を取り上げる。伝統的に芸術音楽の盛んだった中央ヨーロッパの諸国とは異なり、長い歴史の中で民族独自の音楽文化を育んできたスペインや東欧諸国では、ロマン派の時代になると一気にその花を咲かせ始めた。彼らは各地方に伝わる民話や民謡を用いるなど、各国独自の文化を発展させて音楽的の基礎を築いていった。

 国民楽派、あるいは民族主義は、これらの国に栄え、スペインでは国民楽派の父、ペドレルの影響の下でアルベニス、グラナードス、ファリャが民族主義を形成した。そして、東欧諸国では、まずハンガリーでバルトークやコダーイが、ポーランドでショパンが、チェコ・スロバキアでスメタナ、ドボルザーク、ヤナーチェクがそれぞれ民族主義を実践した。

★スペインの音楽
★ハンガリーの音楽
★ブルガリアの音楽
★チェコ・スロバキアの音楽
★ポーランドの音楽


☆スペインの音楽

 スペインのルネサンス期(16世紀頃)は音楽の黄金時代で、宗教的多声音楽、オルガンやリュートの音楽などの傑作が生まれた。次のバロック期には、スペインの国民的な小オペラである"サルスエラ"が興り、これは今日まで愛好されている。古典派の時代に近づくと、イタリアから有名な作曲家が次々と招かれて、イタリアの影響が強くなる。とくに、D.スカルラッティやボッケリーニらがスペインの地に大きな足跡を残した。

 19世紀にはナポレオン軍の侵入などで国政が落ち着かず、スペイン音楽独自の発展というよりは、イタリア音楽の影響を受けた作品が多くを占めた。その中ではギターの音楽の祖とも呼ばれるソルが名曲を残した。19世紀から20世紀の中期後超保守政策により、優れた音楽家が多数亡命して音楽の発展が妨げられた。


☆ハンガリーの音楽

 1669年、ハンガリー領土はオーストリアのハプスブルク家の属領になったため、文化は中央ヨーロッパの影響を強く受けることなり、その為多くの作曲家がハンガリー独自の作品が生み出されるようになったのは独立運動が起こって、民族主義的な趣向を凝らすようになってからである。天才的なピアニストとして知られるリストは、その前期においてはピアノ曲を、後期では多くの管弦楽曲を残している。文学的な内容を管弦楽で表現する「交響詩」は彼の創始によるものである。また、農民の歌う歌声を通して身につけたハンガリー民謡の精神をもとに、ピアノ曲「ハンガリー狂詩曲」を数多く作曲している。20世紀に入ると、コダーイ、バルトーク、リゲティらが独創的な作品を発表して、ハンガリー音楽の国際的な地歩を固めた。


☆ブルガリアの音楽

 バルカン半島北東部の国ブルガリアは、南スラブ系の音楽を中心としながら、ゲルマン、ラテンの影響を受けた。その後ビザンチン帝国、オスマン・トルコの支配を経て、豊かな音楽文化が形成された。


☆チェコ・スロバキアの音楽

 後期バロックから古典派にかけて優れた人材を輩出し、また独創的なオーケストラ曲を残したマンハイム楽派には、J.W.A.シュターミッツをはじめ多くのチェコ人が含まれていた。18世紀の終わりに民族運動が生まれ、その流れからスメタナ、ドボルザークらが台頭した。民族主義は20世紀に入っても引き継がれ、ヤナーチェクはオペラにその傾向を強く表した。


☆ポーランドの音楽

 ポーランドは、強国に囲まれた内地に位置するため、国民は常に侵略戦争の危機にさらされていた。18世紀の後半にはロシア、プロシア、オーストリアに全土を奪われてしまい、民衆は自国再建と意思統一を図った。音楽は民族固有の舞曲であるポロネーズやマズルカを取り入れた愛国歌、オペラが作られた。この頃「ピアノ詩人」と呼ばれるショパンが登場し、ポーランドの民族音楽に題材を求め、多くのピアノ曲を残した。20世紀に入ると破壊と復興を繰り返し、その中でシマノフスキ、第二次大戦後にはペンデレツキ、ルトスワフスキなどが活躍している。


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