♪ドイツ・オーストリアの音楽<歴史>

ドイツ・オーストリアの音楽は、一般にスイスなどを含むドイツ語圏の

音楽として総称されるものであり、ここでは省略してドイツ音楽と呼ぶ

★中世、ルネサンスの音楽

★バロックの音楽
★古典主義の音楽

★ロマン主義の音楽

★20世紀の音楽


☆中世、ルネサンスの音楽

 古いドイツ音楽史に関しては不明な点が多いが、キリスト教の音楽が中心となっている。既に9世紀から10世紀にかけてスイスのザンクト・ガレン修道院で作られた典礼歌の歌い方に、一音符に一語をあてるトロープスなどこの国固有の工夫が見られる。同時にフランスの詩人兼作曲家であったトルバドールに影響を受け、ミンネゼンガーが登場した。彼らは宮廷を舞台に女性への愛を単旋律の調べにのせて歌った。14世紀になると、この伝統はマイスタージンガーに継承された。

 中世の宗教的束縛から解放され、人間性に基いた新しい文化を築こうとする思想をルネサンスといい、この時代には多声音楽が定着し、ドイツの宮廷においてもイザークをはじめとするフランドル楽派の活躍が目立った。16世紀になると、宗教改革を契機としてルター派の協会でコラールと呼ばれる宗教歌がつくられ、後にプロテスタント音楽の重要な源泉となった。


☆バロックの音楽

 この時代になっても音楽文化の中心は、依然宮廷のものであったが、市民の音楽協会などが結成され、音楽と市民社会との結びつきが強化された。そのような中で、多声声楽の多くが作曲され、協奏様式が確立された。また、教会音楽ではプロテスタントの音楽の隆盛により17世紀後半から18世紀にかけて教会カンタータ(アリア、2重唱、合唱などのいくつかの楽章からなる声楽曲)が生み出された。しかし、ドイツをヨーロッパ音楽の中心の地として一躍その名を知らしめたのは、テレマン、J.S.バッハ、ヘンデルによってであった。特にバッハは、深遠な宗教的世界に基く数々の傑作を発表し、バロック時代の頂点を極めた。


☆古典主義の音楽

  C.P.E.バッハを中心とした感情過多様式と呼ばれる時代を経て、ドイツ音楽は古典主義へ移行する。古典主義時代に入ると、マンハイム楽派がソナタ形式を確立した。そしてウィーンを中心とするハイドン、モーツァルト、ベートーベンらによって古典的形式美の完成と発展へと導かれた。そのような中で、ハイドンは交響曲によってソナタ形式の完成を、モーツァルトはその均整美に支えられた傑作を生み出した。ベートーベンはロマン主義を予感させる強烈な個性によりドイツ音楽の黄金時代を築いた。


☆ロマン主義の音楽

 古典主義の音楽が普遍性を重視したのに対し、ロマン主義の音楽は、個性を重んじ、自由な感情の表現により、文学や哲学との結びつきを求めた。ウェーバーは、ドイツ民話を主題とした歌劇「魔弾の射手」を発表して、ロマン主義の先駆者となり、シューベルトはドイツ語による芸術歌曲(リート)を確立して、シューマン、ブラームスと続くドイツ・ロマン歌曲の源流をつくった。メンデルスゾーンは、ロマンティックで詩情あふれる作品を生み出し、ブラームスは、ロマン的でありながら賢固な形式に打ち出された古典的な色彩の強い純器楽曲を残した。

 ワーグナーは、それまでの歌劇に飽き足らず、文学、演劇、音楽の総合芸術として楽劇という壮大な音楽の世界を創造して、20世紀初頭の音楽への方向付けをした。彼の影響の下、R.シュトラウスやマーラー、ブルックナーは、爛熟したロマンティズムを開花させた。


☆20世紀の音楽

 ワーグナーなどによって極限にまで押し進められた調整の崩壊は、シェーンベルクにより完全に遂行された。それは無調音楽、表現主義の音楽と呼ばれ数多くの傑作を生み出した。その後システムを持たない無調音楽の体系化が探究され、組織化された無調、十二音音楽が生み出された。それは弟子のベルク、ウェーベンによって発展され、戦後世代に重要な影響を与えた。そのような作曲家の中に前衛的作曲家のヘンツェ、ツィンマーマン、シュトックハウゼンなどがいる。1992年、東西ドイツの統一により、ドイツ音楽は、東へと拡大された。


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