日本の音楽<歴史>
★原始 |
★古墳・飛鳥・奈良時代 |
★平安時代 |
★鎌倉・室町・安土桃山時代 |
★江戸時代 |
★明治時代 |
★大正、現代までの時代 |
☆原始
埴輪や「古事記」「日本書紀」などの資料によると、古代国家が成立する前には琴や笛、ツツミなどの楽器や農耕生活と関係の深い歌・踊りが盛んだったと推察される。
☆古墳・飛鳥・奈良時代
大和国家の頃から中国、朝鮮半島、さらにシルクロードなどアジア大陸の音楽が盛んに流出し、多くの歌、舞、音楽が日本に伝来した。主なものに朝鮮半島の三韓(新羅楽、百済楽、高句麗楽)、林邑楽、中国起源の唐楽、勃海楽、伎楽、散楽などがある。こうした外来音楽をつかさどる役所として雅楽寮が設置された。
☆平安時代
貴族文化の花開くなか、外来音楽は整理統合され、日本的な感覚にあわせて消化吸収されていった。宮廷音楽である雅楽の楽制改革が行なわれ、中国・天竺系の唐楽と朝鮮系の高麗楽に2大別され、役所も雅楽寮にかわり楽所が設置された。よく知られていた「越天楽」は日本風に消化された雅楽の代表作品である。
一方古くからの和楽(神楽歌、東遊、久米歌など)に加え、新しい声楽として民謡などを芸術化した催馬楽、漢詩を日本読みにして歌う朗詠も雅楽に加わり、はやり歌の今様なども生まれた。
また中国より仏教音楽の声明が伝えられ、真言声明、天台声明として日本化した。声明は後の平曲や謡曲、浄瑠璃などの日本の声楽に大きな影響を及ぼした。
☆鎌倉・室町・安土桃山時代
貴族社会の衰退とともに雅楽も衰え、それに代わり能楽などが、武家文化として花開いた。
平曲は「平家物語」を琵琶の伴奏で語る音楽で、「徒然草」によると生仏という盲僧が語ったのが初めてとされる。その後室町幕府の保護の下に発展し、一般武士の間でも愛好された。
能楽は、能と狂言からなる歌舞芸能で、民衆芸能の田楽や猿楽を母胎に発展した。室町時代に観阿弥・世阿弥父子によって洗練された総合芸術として大成された。特に世阿弥は芸術論集「風姿花伝」を著わし、能の幽玄美を説いたことで名高い。
安土桃山時代には中国の三弦が沖縄を経て本土に伝来し三味線となり、それまでの琵琶に変わり、浄瑠璃を語る楽器として江戸時代への素地を作ることとなった。また、この時代にわずかながらキリスト教とともに西洋音楽も伝えられたが、ほとんどは、禁教令とともに途絶えた。
☆江戸時代
階級制度に伴い、雅楽は朝廷の音楽として、幕府の式楽として定着した。また、鎖国により外来音楽の影響が途絶え、室町以来芽吹いていた色々な音楽が、三味線、筝、胡弓、尺八などの音楽として花開いた。今日近世邦楽と呼ばれるこの時代の音楽文化を支えたのが、新しく台頭してきた町人である。
町人文化の代表である文学や歌舞伎の発達とともに各種の三味線音楽が隆盛した。三味線音楽には物語の内容に重点をおく「語り物」と、音楽そのものに重点をおく「歌い物」とがあり、棹の太さ・大きさもさまっざまな三味線が用いられる。「語り物」の浄瑠璃には、人形芝居と結びついて竹本義太夫によって大成された義太夫節や常盤津節や清元節などがある。「歌い物」には、筝曲と関連の深い地歌や、歌舞伎の伴奏音楽として発達した長唄、さらに端歌、小唄などがある。
筝曲は八橋検校により確立され、八橋流から生田流と山田流が生まれた。尺八は禅宗の一派である普化僧の虚無僧専用の宗教音楽として普及し、尺八を吹くことは読教に相当すると考えられ、一般の使用は禁止されていた。
これらの音楽の伝承には、西洋音楽とは異なる次に2つの大きな特徴がある。@各流派には曲目や奏法などに強い独自性があり、家元制度によって継承されてきた。しかも、一つの流派から新しい派が分派しつつ、多くの種類の音楽を共存させていた。A書かれた楽譜よりも、口三味線のように旋律やリズム、奏法を擬音化して唄える唱歌が各楽器ごとに発達している。このように口授による伝承を特徴とする。
☆明治時代
明治の文明開化とともに、西洋音楽が移入され伝統音楽にも新たな変化が起こった。学校教育制度制定に伴い音楽酉調掛が設置され、今日の音楽教育の基礎が築かれた。東西二洋の音楽を折哀した新曲や、外国曲の歌詞を日本語に訳すなど様々な試みがなされた。こうして生まれた文部省唱歌は老若男女・世代を超えた愛唱歌として歌い継がれている。
一方伝統音楽は、階級制度の廃止や社会の新しい動きとともに、新曲の創作や新しい調弦法の考案、記譜法の工夫や楽譜の五線譜化などこれまでに無い展開を見せる。
☆大正、現代までの時代
西洋音楽が一般大衆に浸透し、逆に伝統音楽への人々の関心は薄れていった。
筝曲家の宮城道夫が「春の海」など西洋的な要素を取り入れた作品を発表し、新日本音楽の様式を創った。一方、滝廉太郎らによって明治時代に始められた日本語による芸術歌曲の創造は、山田耕作らによって受け継がれた。特に山田は洋楽の模倣でも西洋主義でもない、日本語を生かした様式の歌曲を数多く作曲し、日本初の交響楽団の設立にも力を注いだ。
今日様々な音楽が聴かれるが、伝統の継承とともに新しい動きも生じている。各地域に伝わる民謡や民俗芸能も広く愛好されるようになり、伝統音楽においても古典の伝承とともに、現代感覚を取り入れた新しい創作も活発になっている。一方、欧米音楽の語法を学んだ日本の作曲家のなかからも、伝統音楽にルーツを求め、東西を融合させる作品も数多く生まれている。武満徹の「尺八と琵琶のためのエクスプス」「ノベンバー・ステップス」はその代表例である。